●KojimaEngineering
1960年 兵庫県ダートトラックレースにて
15歳から名古屋の熱田神宮内のグランド、岐阜の津島、京都、姫路、広島の中部西日本のダートトラックレースに明け暮れていた。
16歳の頃(一番右)250ccクラスにて優勝。
浜松オートレース場にて
BSAゴールドスター500
先頭:小島、2番手:田中健二郎選手、3番手:片山選手
スズキは当時大排気量がなかったので友人のマシンを借りて出場し、優勝。
1964年 第1回モトクロス日本グランプリ
1位:小島、2位:長谷見、3位:黒沢、4位:菅家、5位:三好、6位:片山
この表彰台の面々が今のレース界を支えている。
今も小島の良き仲間である。
菅家氏は後にカートレースのチャンピオンにも…
浜松オートレース場にて
(17歳or18歳の頃)
オープンクラスBSA500
スタート待機中の小島
この頃まではダートトラックレース以外は小島の眼中になかった。
1968年頃 練習に行く様子(京都にて)
RH250
手探り状態で作られた初期モデル(最終版)
ここから完成された68モデルが生まれる。
1967年
世界選手権(ベルギー)にて
モーターサイクリスト
1968年11月号
浅間山のテストコースにて
125ccX(エックス)5
RH250(68モデル)
1967年10月 当時では珍しいモトクロスの耐久レース(国内)で優勝。
このモデルが65年、66年、67年のトラブルを全て解消し、68年以降のスズキの世界制覇に向けての集大成になる。
京都・将軍塚で練習。
今はKEヘリポートになっている。
X13
50cc市販ロードレース用M40の試作マシン。
どこかのレースのスタート前の風景。
Copyright(c)2009 KE RACING All right reserve.
当ホームページ掲載内容の無断転載を禁止致します。